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記憶を記録に

当たり前のことを、あーだこーだと理由を付けて大事だなあと納得するのが好きな人のブログです。

米国に留学している日本人大学生が感じる、母国への絶望感について。

ニューヨークが好きだ。この町には、貧困もある、人種差別もある、汚くて不便な地下鉄もある。無料のものは何一つないし、ありのままの自然もないし、美味しい寿司には出会えない。それでも、ニューヨークが好きだ。

どうしてなのだろうか。私は東京出身だ。東京は、世界で指折りの面白い街だ。一つ一つの地域がこんなにも個性豊かな都市は他にはないと思う。四季折々で違った表情をみせる所も魅力的だ。日々変化していて、飽きがこない。こんなにも東京を愛してるのに、それと同じかもしくはそれ以上に、ニューヨークへの愛があふれる理由は、多様性と将来性にあると思う。この2つは東京にないものだと思う。

まず、多様性。地下鉄に乗るだけで、いろんな国の言葉が聞こえる。いろんな肌の色が見える。ホームレスも、働くビジネスマンも、歌って踊るパフォーマーもみんな一緒に電車に揺られる。老若男女が入り交じる。”みんな違ってみんないい。”この考えを、受け入れざるを得ない光景が広がる。それ故に、ニューヨークの人は優しい。東京以上に、みんな電車では席を譲るし、気を遣う。支え合う。多様性をベースに、個人主義の考えがあるからこそ、相手の個性も尊重される。自分の考えが尊重されるのと同じように。

日本は、島国だ。歴史的にも地理的にも、異なる文化への受容性は他国に比べると低い。私が小学生の頃、周囲と違うということはいじめの理由になった。自分でも、自分と異なる性質を持つ人を素直に尊べないことに、日本人らしさを確認してしまう。なんとも不名誉で残念な確認の仕方だけれども。とにかく、日本人は”自分と違う物事”に慣れてないのだと、自分からも他の日本人からも感じる。

次に、将来性。米国が未来への希望に満ちあふれた国なのかと言われると、それは定義によるだろう。しかし、経済学を仮にも大学で専攻した身としては、人口が減少の一途をたどり、市場が縮小していく事が決まっている日本に、希望を見いだすのは難しいと感じてしまう。少子化対策、女性の活用、東京オリンピック。どんな手を打っても焼け石に水、まるで死にかけの老人への延命処置のように見えるのだ。

外貨を稼げる自分にならねば、自分の市場価値をグローバルで測ったときに高い水準に持っていかなければ、そうやって焦っている。

米国にだって問題はある。だけど、ドルが相対的に高い価値であることと、先に述べた多様性がある限りアメリカに希望はあり続けるのではないかと思うのだ。それは単純な理由で、多様性があると一方がだめになっても、他方がカバーできるからだ。アメリカはそれぞれの州に特色があり、行政的にも独立している。ニューヨークの地下鉄に見る人間の多様性だけでなく、マクロな視点で見たときにも当てはまる。アメリカの多様性は希望だ。

ここまでニューヨーク(米国)が好きだ、日本はもうダメだと書いてきた。正直、日本に居た頃に危機感なんて1ミリも感じていなかった。豊かな国で生まれ育ったからだ。だけど私が生まれた頃の、豊かな日本はもう存在しないのだ。それでも、私は日本人だ。その事実は変わらない。その事実の元、自分がどうするべきかどうあるべきか考えていきたい。やっと、グローバルな社会の入り口に立てた気がする。