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記憶を記録に

当たり前のことを、あーだこーだと理由を付けて大事だなあと納得するのが好きな人のブログです。

近くて遠い人が、亡くなった。それでももう一度会わせて欲しい

押鐘さんが亡くなった。トビタテ留学JAPANの学生同士のコミュニティ化を促進することを担っていた方で、30歳。新婚さんなのに、週末は仕事で度々家を空けていたそう。週末の時間は、トビタテ生のイベントや会にと、沢山の時間を割いて下さっていた方だった。私がトビタテをお勧めする理由の一つは、ポジティブで刺激的なトビタテのコミュニティ。これを作ってくれてた人だ。

 

私と彼の関係は近くて遠いものだった。fbの友達で、何度か事務連絡のメールをしたことがあって、fbの投稿にイイネ!をしてくれたり、したり、トビタテの会で前で話している押鐘さんを私はいつも一方的に見ているだけだった。地味な私には、キラキラしていてまぶしすぎるくらいの人だった。他のトビタテ生のように、私は飲み会に積極的に行ったりするタイプじゃなかったから、押鐘さんと話す機会もそんなになかった。いつもいろんな人に囲まれて楽しそうに目をくしゃっとさせた笑顔で笑う押鐘さんを、私はいつも近いようで遠い距離から見ていた。

 

そんな関係性の私にも、彼の死は衝撃的で、信じがたいことだった。

その若さや、研修のときに目にした底抜けに明るくてアクティブな様子と、死というものがどうしても結びつかない。結びつかないけれど、想像を巡らせると、悔しくて悲しくて仕方ない。私が悔しがってもと後ろめたさに似たものを感じるのだけど、こんなにも人から必要とされていて、こんなにも慕われている人が、どうして彼なのか、どうして、と言葉にならない気持ちがわいてくる。

きっと本人とご家族が一番悔しいはず。それは分かっているけれど、きっと彼が感じている悔しさの何百倍、何千倍もの質量の悔しさや悲しさが、彼が接してきた人の分、この世に存在しているんだ。多くの人に慕われる人だけに、悲しみや悔しさ、事実に対する怒りの質量は本当に計り知れない。

 

私がいまものすごく悔しいのは、彼がこんな距離感の人にも心を届けることが出来る素晴らしい人だったのに、どうしてなんだという、上手く言葉が見つからないのだけど、事実の残酷さ、理不尽さに対しての悔しさ。そして、ちゃんと彼と関れなかったこと、少しでも関った時間を後悔のないものに出来なかった、自分への悔しさだ。一番どうしようもない、一番情けない、一番ふがいない、みっともない悔しさだ。もう一度会いたいと思っても、。

 

近くて遠い距離で後悔するのはもう嫌だ。関る人と、ちゃんと向き合おう。留学に行ったらきっと沢山の人に出会う。ちゃんと自分の気持ちを明らかにして、相手の気持ちを考えて、泣いて笑って、ちゃんと関ろう。

本当に、最後の最後に大切なことを教えてくれて、本当にありがとうございます。押鐘さんみたいに、相手の心にしっかり残る人になれるよう、頑張ります。もらった分、トビタテのコミュニティの一員として、コミュニティに還元していきます。

 

日常は容赦なくすぐそばにある。これから、お花代を振込に行く。振り込んだら、テスト勉強だ。がんばろう。