読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

記憶を記録に

当たり前のことを、あーだこーだと理由を付けて大事だなあと納得するのが好きな人のブログです。

ニューヨークのバレンタインデーは男の人が頑張る日でした!

どうもこんにちは、大野です。
バレンタインデー。日本では、女の子から男の子へチョコレートとともに想いを伝える日ですよね。今わたしが居る、ニューヨークでは、違いました。

男子から女子へが基本、ニューヨークのバレンタインデー。

ニューヨークのバレンタインデーは、基本的に男性から女性へ。チョコレートではなく、お花をあげるのが定番です。ホワイトデーはなし。女子としては気楽なバレンタインデーでした。

f:id:ayumi_ohno:20170216082146j:plain

いつもはお客がいるのを見たことのないお花屋さんが、なんと店舗を路面にまで拡大して営業。薬局でもスーパーでも、お花を見かけました。2月14日は、どこでも、花が買える日。

f:id:ayumi_ohno:20170216082149j:plain

友人にバレンタインデーはなにをするのかと尋ねると、素敵なディナーに行ったり、お家で食事を作って奥さんをねぎらったり。バレンタインデー前の週末で、ちょっと特別なデートをしたり。基本的には、男の人が女の人に気持ちを伝える日のようです。


実際にニューヨークでは、多くのレストランがバレンタインデーメニューを出していました。チョコレートに限らず、カップケーキやアイスクリームのお店なども、バレンタイン期間限定のフレーバーなどを出していました。


タイムズスクエアでは、こんなイベントも行われていたそう。

www.amny.com


街中がバレンタインデー色に染まります。盛り上がりは、日本のクリスマスにちかいような気がします。
 

日本にはない挨拶のタイミング

”Happy Newyear!”の挨拶以上に、”Happy Valentines day!”という連絡を、しばらく合っていない男性の友人からいくつか貰いました。
ニューヨークに住んでみて気づいたのですが、こういう挨拶の文化があるのが、英語圏の素敵なところだなあと思います。”How are you?”もそうだし、”Happy Valentines day!”も”Happy halloween!”もそう。

そういえば、11月の日本の「文化の日」に、”Happy Cultural Day!”というテキストをくれたアメリカ人がいました。文化の日をこうやって祝ったことがなかったので、びっくり。ありがとうといいつつなんで送ってくれたのかと尋ねると、「日本のホリデーでしょう?」との返事が。彼らにとって、ホリデーは、祝うもの。周囲とコミュニケーションするきっかけなんだなあと気づき、アメリカのローコンテクストな文化が影響しているんかななんて思った瞬間でした。それにしてもこの出来事は、日本の祝日を気にしてくれたんだなっていう気遣いがすっごく嬉しかったです。えへへ

とにもかくにも、挨拶を口実に連絡をとれるし、相手がどうしてるのか知れる文化万歳。日本にはないタイミングなので、日本にもこんな文化があればいいのになあと思う次第です。

やらない選択肢を選ぶ勇気が、なんだかんだ互いを幸せにするのかも。

どうもこんにちは、おおのです。タイトルで意識高い高いなこと言いがちな大学生です。

日本では、お年寄りや妊婦さん、けがや病気の人には席を譲るシーンをよく見かけていました。お年寄りの方が居れば、席を譲ったりもしていました。

ですが、ニューヨークでは、私も席を譲ってもらえたりします。けがでも病気でも妊婦でもないのに。女性だからです。基本的にレディファーストがマナーなので、その恩恵にあずかって、ありがたく座らせてもらっていました。こころなしか、ニューヨークの女性たちは空いた一席に我先にと座る気がするし…と。一方で、男性でそんな必死に座る人を、あまり見たことがないです。周囲を見渡して、空いてたら、座る感じ。

だけど、男性もやっぱり座りたいのか…!と気づくきっかけになったのがこの動画です。

Video: How To Score A Seat On The Subway: Gothamist

あまりにもおもしろおかしく、座席を死守しようとしていて。逆に必死さがひしひし伝わってきて、ああ、男のひともそりゃ座りたいよな、もしかして無理してるときもあるのかなあと気づきました。

厚意を強いられる、文化のめんどうくささ

日本でのことなんですけど。バレンタインデーに、当時のバイト先である従業員14名の職場に、14個入りで1個200円くらいの地元で美味しいと評判のお店のフィナンシェを持って行きました。

箱に入れて並べておいたら、職場のおばちゃんが、1人で4つも持って行ってしまいました。御礼もなく。すごく嫌な気分になりました。「みんなに渡せればと思って人数分買ったのに!3000円って大学生のお財布には痛かったのに!!なんでこの人がそんなに持って行くのよ!この人だけにあげたかったわけじゃないのに!4つってとりすぎでしょうが!!」

そんなことを思ってしまって。それを父親に話すと、「そんなに嫌なら、お菓子は持って行くな、そんな気持ちでされたら相手も逆に迷惑だ。」と言われて。

よくよく考えると、なんでお菓子を職場に持って行ったかというと、自分が心からあげたいからというより、”皆持って来るから””女子は持って行くものだから””バレンタインデーだし…マナーかな…”という、誰かが強制したわけでもないけれど、無言のプレッシャーを勝手に感じて、そうしたのです。お金がないなら、そんなに高いものを買わなくてもよかった。納得する範囲の金額で良かった。持って行きたくないなら持って行かないことも出来た。

人の厚意を当然だと思わない。(自戒をこめて。)

f:id:ayumi_ohno:20170215114153j:plain

電車で席を譲ってくれる男の人も、もしかしたら同じ気持ちなんじゃないかと思うんです。”レディーファーストだから””女性には席をゆずるものだから”そういう見えないプレッシャーを無意識に感じながら、文化の力に流されて、しんどくっても笑顔で席を譲っているのかも。

バレンタインデーが、悪いわけじゃない。レディーファーストが悪いわけじゃない。

だけど、相手の厚意を、当然のごとく受け取るのは良くない。無理をするのも、させるのも、良くないなと思いました。

私は、女性だから。レディーファースト文化だからなんてあぐらをかいて、当然のごとく譲られていた自分がなんだか少し、恥ずかしくなりました。きちんと御礼を伝える、相手を気遣う、やりたくないときはやらない選択肢を持つ、ということが、お互いしあわせな気がします。

眠れない夜に考えたこと。アイデンティティの話。

よくあるインタビューで、絵を描く人に、「どこからインスピレーションを得るんですか?」というふうな質問がなされる。この質問の多くは、アーティストに限らず普通の人にも投げかけることができる。絵というものは得てして、その人自身を体現するものだから。アーティストじゃない人への質問に言い換えると、「あなた自身を形作るものはどこから得ているんですか?」というアイデンティティを問う質問になる。

 

アイデンティティを形作るものは、沢山ある。記憶や体験、家族や所属、生まれた時点で持っている、性別や国籍、人種や年齢。これらはもう変わらない事実として、その人のアイデンティティの一部になっている。

その一方で、選択の余地もあるのも事実。アイデンティティは自ら選ぶことも出来るのだ。

どんな本を読むのか。どんな体験をするのか。どんな人をfacebookTwitterでフォローするのか。

漫然と選びがちだけれども、わたしはこうありたいという意思を網目にしたザルで、丁寧に篩にかけることが、個人の輪郭をはっきりと保つには大切なのかもしれない。

 

私のTwitterFacebookは、きちんと篩にかけられているだろうか。かけられてないのなら、もしかしたらもう無理して見なくてもいいのかもしれないと、思ったりもした。

なんで不況・貧困だと20代女性が吉原「遊郭専門書店」に集うのかがわからない。

toyokeizai.net

この記事の筆者は、20代女性が吉原「遊郭専門書店」に集う理由は、不況・貧困だという。いち20代女性の私は、納得がいかない。なんで貧困だと遊郭専門書店にいくんだ。論理のつながりが分からない。20代女性1人の意見として聞いてほしい。

私は、遊郭巡りが趣味になるほど遊郭が好きではないが、遊郭にまつわる小説、建物、写真には素直に心惹かれることがある。きっかけは「さくらん」を読んで、映画を見て、椎名林檎の”この世の限り”というエンディングテーマが醸し出す切ない世界に共感し、実物を見てみたいと思って、図書館で遊郭の写真などを眺めてみたりした。高校生の頃だった。

過去に私たちと同じ若い世代の女性がどのように生きていたのか、遊郭に生きた女の人たちはどんな服を着て何を食べてどんな人間関係と環境で、どのように考え、感じていたのだろうかと興味が出たからだ。そして、そこに想像をめぐらせると、「きっと私たちと同じだ。」という結論に至ったのだった。好きでもない男を12、13の恋も愛も知らぬうちに抱かされるのは、さぞ心と身体の痛むことだろう、痛みを超えて、心を無にするなりして折り合い(なんて軽い言葉では言いあらわせられないけれど)を付けて歯を食いしばるしかないんだろう。ぞっとする。逃げ出したくなって、生きることすら放棄したくもなるだろう。だけど、遊郭に生きた彼女たちの感情、心のしんどさや、家族を思う気持ち、この世に生きることへの絶望は、現代にもある。私の心にも、誰の心にも、あなたの心にもきっとある。程度の差こそあれ。そして、貧困や不況だけがそういう気持ちにさせるわけじゃない。貧困が理由で家族のために歯を食いしばることももちろんある。一方で、きっといわゆるバリキャリで年収1000万円超えるような人でも、自分の努力や意思決定ではどうにもならない世の不条理に砂をかむような思いはしてるだろう。

20代女性が、「貧困だから、遊郭に興味がある」わけではない。同じ性を持つ女性がどのように生きたのか、その暮らしぶりや考え方への興味をきっかけに、”どの時代でも、同じだ”と、自分との共通性をそこに見いだしたいだけだ。

筆者は、現代社会の不況や貧困が20代女性の遊郭への関心の背景にあるんじゃないのかな、と述べた後、最後にこう締めている。

AIだVR(バーチャルリアリティ)だのと、日々技術は進歩しているが、人々の心は過去に向かっている。 

大きく異を唱えたい。人の心は過去に向かっているように見えるかもしれないけれど、果敢に今に未来に立ち向かうからこそ、過去にヒントを見いだそうとしているのだ。固定観念ばっかりで、まだまだ女には不条理ばっかの日本だから。ツイッターに落ちていた言葉が、あまりに私のいいたい事の的得ていたので引用させて下さい。

遊郭こそが、20代女性にとってのバーチャルリアリティ

いち20代女性からは以上です。

MoMA(ニューヨーク近代美術館)が金曜日は無料になるんだよ。ついでに美術が苦手な人でも、美術館を楽しめるコツを紹介します。

ニューヨークからこんにちは、おおのです。先週のニューヨークはトランプ大統領の就任式に伴うマーチ(デモ)で、賑わっていました。デモに行くことがちょっとしたトレンドでしたね。素直に気軽にデモに行ける、ニューヨークとニューヨーカーが好きです。

 

さてさて今日は、金曜日。クラブもデートも、友達の家でホームパーティも、家でネットフリックス見るのも、金曜日の夜はいつだってどこだってなんだって楽しいもの。ですが、私が一番好きな金曜日の過ごし方は、MoMA(ニューヨーク近代美術館)に行くことです。

www.moma.org

MoMAの何が最高かって、美術が苦手な人も楽しめる美術館なこと。有名な作品が沢山あるので、「あ、これ見たことあるあるー!」って感動します。あとは現代美術なだけあって、めっちゃオシャレでスタイリッシュ。そして、展示が企画展で構成されていて定期的に入れ替わるから、何度行っても飽きない。

そんなMoMAが入場無料に!MoMAフリーフライデーの詳細とポイント。

ニューヨークに行こうと思った人が、絶対ガイドブックやブログなどで目にしている情報だとは思うのですが。MoMA(ニューヨーク近代美術館)は金曜日の夕方から入場料が無料。スポンサーはユニクロ!なんか嬉しい! 

ざっくり訳すと、「金曜日の夜はみんな無料だよ、16:00-20:00ね。でも18:00以降にくることをお勧めするよ。あんまりでっかいバッグは遠慮してくれると嬉しいな。11×15×5インチ(1インチ=2.54cm)以上の大きさのバックは入るときにちょろっと点検するからね。54ストリート沿いの入り口から入ってね。全部無料だよん。映像のコーナーも無料で入れるけど、ちゃんと半券持ってきてね!」らしいです。

UNIQLO Free Fridays

Admission is free for all visitors during UNIQLO Free Friday Nights, every Friday evening from 4:00 to 8:00 p.m. To avoid long lines, visitors are strongly encouraged to arrive after 6:00 p.m. Please refrain from bringing large bags, as all items larger than 11 × 15 × 5″ must be checked. The line for UNIQLO Free Friday tickets begins at the Museum’s 54 Street entrance. Your UNIQLO Free Friday Night ticket permits entry to all Museum galleries and exhibitions. Film admission is free, but a separate ticket is required.

続きを読む

知らんがな、と心底思う日本で感じる無言のプレッシャーと戦う決意をここに表します。

大人なんだから、SNSに感情を吐露することや、自分にしか関心がないことを露わにするのは恥ずかしいことですよね。分かっていつつも、驚いたので書きます。


過去のツイートを見返して、自分の思考や趣味のゆるふわ具合に気づきました。賢くも論理的でも決してないけれど、"ゆるふわ"でもないと思っていたから、とにかくその事実に驚いた。


ツイートでは、意識して当たり障りないことを言おうとしてたということを鑑みても、一生懸命考えてるような発言も中身のない感想でしかなかった。結局、考えてない"ゆるふわ"だった。おっちょこちょいから発生したミスを、反省する気もなくツイートのネタにしている点で、とにかくマイペースそうな人だなと思った。


私が日常生活、社会生活においてマイペースかどうかは分からない。だけど人生に関しては、マイペースにやってきたから、普通だったら働くべき今、ニューヨークに居るわけで。もうここまでマイペースに生きてきたから、これからもそうやって生きていくんだろうなと思います。


日本には、固定観念とそれを押し付けてくる人が多い。

きっと選択が自分の意見に基づいてなくて、結果的に不本意になってさまったから、他人にも押し付けたくなってしまうんじなないのかなあ。私も従ったんだから、あなたも従いなさいって。知らんがな。


大人は仕事をするべきだ。女性は綺麗であるべきだ。仕事をしてない人はダメな人。結婚できない人は変な人。そうやって固定観念を押し付ける。知らんがな。

『〇〇歳までに結婚して、◯◯歳までに子供を産まないと。』こんなセリフが、たとえ統計的に正しかったとしても。

私は生まれてこのかたマイペースにやってきたんだということに誇りを持って、ゆるっとふわっとプレッシャーをかわしながら、マイペースに人生を実りあるものにしていきたいなと思います。

読書メモ デジタル・ジャーナリズムは稼げるか―メディアの未来戦略 第1部第1章〜3章

 

デジタル・ジャーナリズムは稼げるか

デジタル・ジャーナリズムは稼げるか

 

 

概要

起業家ジャーナリズムのパイオニアである、ジェフジャービスの著書。今後、ジャーナリズムを保ち情報発信をしていくためには、ビジネスでお金を稼いでいく必要がある。ジェフは、ジャーナリズムは今後「人間関係ビジネス」サービス業になっていくと主張する。

ニュースを伝える会社は、ユーザーがどんな情報をほしがってるのかを、知るための確固たる手段を持っているべきである。グーグルやFacebookは、サービスを提供することで、ユーザーの情報を集めた。そうすることで、ユーザーのニーズを満たしている。適切な情報を届けることが出来る、知りたいという欲求を満たすことができる。そういった点で、ジェフはテクノロジーに敬意を示している。

今後、ジャーナリズムの存在意義を認められていくには、ジャーナリストたちは単なるストーリーテラーであるだけでなく、付加価値を読者に提供して行かなければならない。その付加価値のひとつこそが、人間関係構築である。ジャーナリストはそのためのスキルを磨かなければならない。

 

感想

今は猫の動画でさえもニュースになってるのは、誰もが発信者になれる時代で、情報の流通量が増えたから。昔、新聞や雑誌が主なニュースの提供者だった頃は、紙面には限りがあったから、何をニュースにして何をニュースにしないのかその基準が、今よりもずっと社会的なニーズや、ジャーナリズムのセオリーに基づいていたのではないか。

どんな基準で、何をニュースとするのかしないのか、その基準は過去と今で違いはあるのか。今の時代に必要とされている、基準は何なのか、その根拠となる価値観はどんなものがあるのか。そして、単なる情報とニュースはどう違うのか、境目はどこになるのかを考えたい。

就職先も、数多くのウェブサービスを提供している。そこで得たデータを利用して、ユーザーの関心にそったニュースを伝えることが出来るのではないか。知りたいことを伝えるだけでなく、ユーザーの視野を広げる新たな記事の提供だったり、知り得た情報を次のアクションに繋げる(震災の記事を読んで、募金のサイトに誘導など)といった、付加価値の提供の仕方が出来そうだと思った。

プラットフォームなのか、メディアなのかの議論が盛んになされている。ハイブリットなあり方は認めない、というような空気がある気がするのだが、両方の責任を果たすことは難しいからだろうか。なぜなのか考えたい。私はきちんと線引きをし、プラットフォームとしての責任、メディアとしての責任、両方を明確に提示し、それらを果たすことでハイブリッドなあり方が成立するのかどうかを考えたい。